総務部長の黒田です。
唐突ですが、「イエスマン」と聞くと、権力者の言いなりでゴマを擂ってる腰巾着のような、いわゆるマイナスイメージが思い浮かぶと思います。
でも実際のイエスマンて、優秀で真面目な人であることが多いです。
イエスマンの何が問題かと言えば、言われている当の本人たちがそれに気づいていないことです。そしてイエスマンはまず褒め言葉で使われることはなく、この単語が出てくる職場が健全なわけがありません。
元会社役員の方からこんな話を聞きました。
自分が現役時代、とても優秀な部下がいた。自分が言ったこと以上のことを先回りで考えて行動し、まさに痒い所に手が届くという表現がぴったりの部下だった。当然、その部下を可愛がっていた。
ある日喫煙所でタバコを吸っていると、奥の方でその部下の噂話をしている数名の声が聞こえた。気になって聞き耳を立てていると、部下のことを(自分の)イエスマンと呼び、不満を漏らしていた。
それを聞いたときはとてもショックを受けた。
その後周りにもそれとなく探りを入れてみたところ、どうやら彼は社内の方々でイエスマンと言われているようなのだ。
自分からすれば、仕事を円滑に進めることができる非常に優秀な部下であり、自分自身も決してイエスマンを引き連れているつもりは全くなかった。
さて困った。
部下としては落ち度は何もない。しかし職場内ではイエスマンと陰口をたたかれている。
そもそも、私から彼に何か言うべきだろうか?
「どうやら君、イエスマンって呼ばれてるようだけど、どうするんだ?」とでも?
いやいや、自分のために色々やってくれているのに、何をどうしろと言うのか。
その方は、結局言い出せずに定年を迎えてしまい、その部下の方もその後転職してしまったそうです。
部下の転職理由に、このイエスマンの話が関係していたのかどうか、もはや連絡が取れないので、いまでも思い出すともやもやしてしまうそうです。
上司に可愛がられていたことでの周りの嫉妬もあったでしょう。
ただ、ここまで周囲から言われているということは、恐らく本人の仕事の進め方などにも多少なり問題があったのだろうとは思います。
上司のためとはいえ、知らないところでその威を借って無理を通したとか、優先順位を違えてしまったとか。ただただ根っからのお調子者だったのかもしれませんが(笑)
しかしながら、イエスと答え続けられる仕事をこなしてきたのは事実で、誰にでもできることではありません。間違いなく勤勉で優秀な人材です。
この話から得られる教訓はたくさんありますが、今回取り上げたいのは「公平感」です。
イエスマンというのは、それによってえこひいきされている人物の象徴という側面も持っていると思います。
元役員の方は、その部下に対してはもちろんのこと、誰かをひいきするようなことは一切ないとおっしゃっていましたが、権力者の些細な一言が独り歩きしてしまい、意図しない効果をもたらすというのはよくあることです。
本来なら、現場との調整役となるべきその部下の方が、イエスマンと呼ばれ敵視されてしまったのは、元役員の方にも少なからずそうさせてしまった原因があると思うのです。
世の中は不公平なものだという現実は分かっていても、いまこの自分が組織の中で不公平を実感した時、社員のやる気は急降下します。
武術家は強い人ほどその力を用いないのと同様に、上司は権力を持つほどにその行使に細心の注意を払う必要があり、それは優秀な部下が周りからあるべき評価を受けられるためにも、将来優秀な上司として育てていくためにも必要な振る舞いであり、上司の使命ではないかと思っています。