総務部長の黒田です。
サッカーワールドカップの最終予選も近いのでふと少年サッカー時代のことを思い出しました。
サッカーの日本代表「ドーハの悲劇」はご存じでしょうか? 1993年に日本が初めてサッカーワールドカップの予選を通過した!と思ったら通過できなかった事件です。
ワールドカップアジア予選の最終試合。日本チームはこれに勝てば初の予選通過でワールドカップ本選出場ということもあり、非常に注目されていました。
相手は強豪イラクでしたが試合時間も残り数分というところで2ー1、これはいけるぞとみんな思っていたはずです。
しかし、その頃からピッチにいる選手たちはどうも完全に勝った気になってしまい、気持ちが完全に途切れて動きが緩慢でダラダラしてしまいました。そして運命の残り10秒からのカウンター攻撃により、ロスタイム17秒で得点されてしまい2-2の同点になりそのまま試合終了。一転して予選敗退が確定してしまったという悲劇のことです。
私はこの試合を見ていたのですが、明らかにダラダラし始めた日本チームを見て「まだ終わってねーぞ何やってんだ!」とハラハラしていました。残り10秒でカウンターを食らったのに誰も必死で追いかけようともしないのを見て、少年サッカー時代のとある試合での悪夢のシーンが甦り、その数秒後にその通りの結果になってしまったのです。
時は遡ることそこから6年前、私は地元の小さくて貧乏など田舎村サッカーチームに所属していました。いわゆる学校の部活ではないクラブチームです。
その年の夏休みの合宿先に、設立したばかりという大都会村からやってきた金持ちチーム(なんと専用のバスで来ていた)と滞在期間が一緒になったので合同練習しようということになりました。
まずは練習試合ということで試合をしたのですが、惜しくも負けてしまいました。しかし相手は対外試合で初勝利ということで大いに沸きあがっていました。設立間もないとはいえ、15人しかいないど田舎村チームと60人もいる大都会村チームでは選手層が圧倒的に厚く、交代する選手もみんな全体的に高い能力を持っていました。
これはチームプレーができるようになれば強くなるだろうなと思いました。ベンチに戻っても初勝利の興奮冷めやらず大いに沸いていた大都会村チームが急に静かになりました。試合中に補欠メンバーが、汚いヤジを飛ばしていたことに大都会村の監督が激怒して説教し始めたのです。
しばらくすると大都会村の監督が大きな箱を持ってやってきて「汚いヤジを飛ばして申し訳ありませんでした。罰として試合後のご褒美を没収したので、ど田舎村チームさんで召し上がってください。」と、60本のガリガリ君を提供してくれたのです!!!
こっちは15人!! 一人で4本もガリガリ君を食べられるなんて負けてよかったー!!(マテ)
そんなこんなでも数日一緒に練習をして、合宿日程はうちが1日早く終わって帰ることになりました。次は公式戦で会おう!と別れたわけですが、その後、うちのチームが地区の予選の半ばぐらいで手こずってる一方で大都会村チームはメキメキと頭角を現し、2年後には地区予選で優勝するまでになっておりました。
巷ではちょうどサッカー熱が高まってきてサッカープロリーグ(今のJリーグ)設立に向けてサッカー界が動き出していました。その動きを盛り上げようと企業がスポンサードする新しいトーナメント大会が開かれることになりました。
記念すべき第1回目は招待制でしたが、なぜかうちの地区からは我がど田舎村チームが招待されることとなりました。のちに聞いたところ、うちの監督は業界内では結構名の知れた監督だったそうで、大人の事情によりど田舎村に流れてきたとのことでした。(汗
大会当日、地区が違うためそれっきりだった大都会村チームと2年ぶりに再会しました。相変わらず小さなど田舎村チームと違い、大都会村チームは110人に増えているとのことで、チームカラーの大型専用バスに、保護者の応援団も同じブルゾンと帽子で揃えるなど金持ちっぷりを発揮していました。
ひょえー! 10チーム作れるわい! 圧倒的じゃないか!
絶対負けますわこれはw
などと軽口を叩いていましたが、トーナーメントが始まると実際に大都会村チームは圧倒的な実力で点差つけて危なげなく勝ち上がり決勝に進みました。
一方、我がど田舎村チームは・・・なんと!我らもまさかまさか決勝まで進み大都会村チームと戦うことになったのです! まぁ、偶然にも強いチームが大都会村側のトーナメントグループに割り当たり、我がど田舎村チームは大都会村チームと反対側のトーナメントグループに割り当たったのが幸運でした。
いざ決勝戦!! 初めから優勝候補として名前上がってた大都会村チームはとても洗練されていました・・・
前半、運動量は負けてないものの、大都会村チームはここぞいうところの決定力が素晴らしくしっかり決めてきて2得点、後半はカウンターから1点取られて残り時間10分で3-0。
前回も負けているし、それよりさらに進化したチーム相手に勝機などあるでしょうか? でもせめて一矢報いたい・・・というところで、一度キレるとだれも止められないドリブル突破力を持つうちの表のエース(通称:なっくる)が、今回も何が切っ掛けかわかりませんが突然キレ出すとドリブルで突っ込んで鮮やかにゴール決めて何とか1点返すことができました!
とはいうものの、大都会村チームは終始優勢に試合を進めており、残り時間はわずか4分で3-1。まぁ、ど田舎村チームも頑張ったねというところでしょうか。
しかし、悪夢はここから始まりました。試合再開で相手ボールから・・・を、まだまだキレ足りていなかったなっくるがすぐに奪ったかと思うと一気に敵陣地に突っ込みます。相手ディフェンダーとのクロスプレーでボールが浮いたかと思うと、小1から高学年に混じって練習していたため、体力差をテクニックで克服しようと思って気づいたら同世代では圧倒的なボールコントロールテクニックを獲得していた裏のエース(通称:きのっぴ)が、軽やかにトラップしてボールをもう一度浮かせ、キレ散らかしているなっくるに気を取られていた相手ディフェンダーの頭越しに抜き去り、キーパーとの一騎打ちで難なくゴール!
この間、わずか1分。うぉぉぉぉぉ! 3-2!!! 残り3分!!
うちのチームはお疲れさんムードから一気にアゲアゲムード。大都会村チームの大応援団からはしっかりしろと檄が飛ぶ! 大都会村チームの監督も落ち着け! あと3分だ! と、冷静を装う。
しかし、この時点で相手チームの闘争心が完全に途切れているだけでなく、この土壇場で追い上げられていることに対して理解が追い付かず混乱をきたしていたのは明らかでした。
もし緊張が途切れていなければ、ダメ押しの1点を狙い、逆にこちらの心を折ろうとするはずです。しかし、再び相手ボールで試合再開すると、どうしていいか分からないという感じで漫然とパス回しを始めます。
足が動いていない、そしてチームプレーは崩壊してフォーメーションもくそもなくバラバラな状況。ど田舎村チームの監督がここで動きます。
「全員上がれ!!」(全員で敵陣に入れ)
ディフェンスラインを解除して一斉に攻めに転じるど田舎村チーム。
それに動揺を隠せない大都会村チーム、なっくるがキレモード限界のギリギリでボールを奪うと最後の力を振り絞りすかさずきのっぴへパス、きのっぴにまったくついていけない相手ディフェンダー。再度キーパーと一騎打ちでそのまましてゴール!
なんということでしょう! 3-3! 同点です! しかし残り時間は1分半!
大都会村チームの応援団は阿鼻叫喚。監督はもう名指しで細かい指示を出しまくっているが、あまりの事態にピッチ上で泣き出す選手も出る始末。
一方、我々も頼みのなっくるはキレモード時間切れで完全に燃え尽きヘロヘロに(笑)
「すごいねぇ!(残りわずかだから)PK戦だねぇ!」と呑気にのたまう我がど田舎村の応援団。
試合再開時点では残り30秒。その運命の30秒がカウントダウンを始める・・・試合再開、すかさずバックパスで時間を稼ごうとする大都会村チーム。
流石にもうだめか・・・
「!?」
しかし、それを読んでいた男が居た。
これまた小1から高学年に混じって練習していたことで、体力差をすばしっこさで克服しようとしていたら同世代では圧倒的な瞬発力を獲得していたミッドフィルダーで影のエース(通称:よっしー)が、持ち前の開幕ダッシュでバックパスに追いつきボールを奪う!
「!!」
よっしーがボールを奪ってからはスローモーションのように感じました、慌てて駆け寄るパスを出した選手、パスを横取りされうろたえる選手、泣きながらよっしーに突っ込んでいく相手ディフェンダー、それを抜き去るよっしー、何が起こったのわかっていない完全棒立ちのキーパー、そこへなりふり構わずボールもろとも自分もゴールネットに突っ込みひっくり返るよっしー・・・
一呼吸おいてゴールを告げるホイッスルでスローモーションから一気に現実へと引き戻されます。
3-4
なんという大逆転。相手にとってはなんという悪夢だったことでしょう。ラスト4分で4得点。
大騒ぎのど田舎村チームとお葬式状態の大都会村チーム。残時間はもう0秒、試合再開と同時に告げるノーサイドのホイッスル。記念すべき第1回の優勝を圧倒的実力で勝ち取ったと思ったら悪夢の4分でまさかの敗退。
我がど田舎村チーム、まさかの大どんでん返しの優勝。
大都会村チームは呆然とするもの、泣きじゃくるもの、がっくりと膝をおとすもの・・・
信じられないかもしれませんが実話です。むしろこんな展開はあまりに出来過ぎて漫画だったら嫌味になると思います。
試合後、大都会村チームの監督がまた説教していました。
「彼らは最後まで諦めなかった。お前らは何だ。3点取って勝った気になって。もう完全に足が止まっていた。誰が試合終了といったんだ、それを決めるのはお前たちじゃない。」
個人の総合力では、なっくるの突破力ときのっぴのテクニックとよっしーの瞬発力を兼ね備えたような選手を何人も擁していた大都会村チーム。勝ちを求められ、そして事実決勝までは危なげなく勝ち進んでこられたのですが、最後の最後、慢心という最大の敵(自分自身)に負けたのです。
そして再び、大都会村の監督が大きな箱を抱えてやってきました(爆)
「みなさんで食べてください。」歴史は繰り返す(笑)
そして「いいチームですね。」としみじみと呟いて戻っていきました。
翌日、この逆転劇は開催地のローカル紙に載りましたが、ローカル過ぎてど田舎村では読者がほとんどいなくて学校で話題になることもなく静かに過ごしました。(笑)
さて、現代に戻りましょう。
ドーハの悲劇に際しての日本チームは、まさにこの時の大都会村チームと同じでした。
(あと数分待てば勝ちだ。)
もう心の中では試合が終わってしまっていたのでしょう。そんな相手から得点するには30秒も必要ないということなのです。根性だけでは勝てないが勝つためには根性がいる。ということを思い知ったできことでした。
私は引退しましたが、翌年以降はきのっぴやよっしーの活躍によりど田舎村チームも地区予選優勝を争う常連となるのでした。
めでたしめでたし。